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10/08/2013

目の見える三日間♪

黄色い銀河の種の年 電気の月 19日  
KIN238 「4(自己存在) 白い鏡―青い鷲」

おはようございます。藤次郎です♪

今日も見て下さってありがとうございます。


検索したにゃ♪


ちょうど、昨日の投稿を書いた後に下記のページを知りました。

昨日の投稿の補足として、参考になるかもしれませんから、

引用しておこうと思います。


藤次郎


目の見える三日間 (Three Days to See)

 ヘレン・アダムス・ケラーのメッセージ
 
 もし、きっかり三日の間、私に目で見る自由が許されたなら、

 一番見たいものは何か、と考えることで、うまく説明できるかと思います。





ヘレン・アダムス・ケラーのメッセージ



      目の見える三日間
    は じ め に
 頭脳を刺激し、魂をかき立てずにはおかない最高のメッセージの
一つを今日皆様の許にお届けできることは、私共の光栄でもまた、
それ以上に喜びでもあります。
 ヘレン・ケラーによって書かれた、この「目の見える三日間」は、
目が見、心の目が見る世界のすべてを、人世の味わい方を、あなた
の前に拓くでしょう。私にはそれが判る。正にそのことを私にしてくれ
たからです。
 ヘレン・ケラーは、現代人類社会における最も傑出した人物の一人
です。この類まれな、忘れがたい、霊感に満ちた神の子ほど、多くの
人びとに神の息吹を運んだ人は少ないでしょう。
 
 ヘレン・ケラーは生後18ヶ月のとき、突如、世の中から閉め出され
ました。 才能ある教師、アン・サリバンは倦むことを知らない忍耐と
資源豊かな心で、盲目で、聾唖者の少女を教える仕事に挑戦したの
です。ヘレンはただ、、読み書きを習ったばかりでなく、大学までの
学校教育を受け、それから一転して、盲目で、聾唖の仲間たちを助け
にかかったのです。
 彼女の自叙伝「ヘレン・ケラー物語」を読まれることを心からお奨め
したいと思います。
                     (ノーマン ・ V ・ ピール)
          
         
✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣
 
 限られた、特殊な時間だけを生きる主人公についての物語は一般に
よく読まれています。ある時は一年に及び、ある時は24時間で終わる
物語に、私たちはいつも運命の迫った主人公が、最後の日々を、或い
は時間を、どのように過ごそうとしたかに興味を惹かれます。
 自分が似たような状態に陥ったときを考えさせるからです。いつかは
死ぬはずの自分は、最後の数時間に、どんな事件や、体験を詰め込み
ながら過ごすでしょう? 過去をふり返って、どんな幸せと、後悔を見る
でしょうか?
 大多数の人びとには生きているのが当然で、いつかは死ぬと分かっ
ていても、それは遠い未来のこと。健康なとき、死は想像もできず、
               さか考えようともしません。壮んな日々が果てしなく続くかに見えて、死は
視界に入ってこないのです。だから、人生に対する自分の無頓着さに
気づかず、つまらぬ仕事に打ち込むわけです。
 才能や感覚器官についても、同じ無頓着さがあるように思われます。
耳の聞こえない人だけが聞こえることを感謝し、見えない人だけが見
える世界にあるさまざまな恵みを悟ります。
 大人になったばかりの頃に2、3日、誰もが急に目が見えなくなり、
耳が聞こえなくなるとしたら、それは幸せのもとだと私はよく考えたも
のです。暗黒が見えることのありがたさを教え、沈黙が音の喜びを
理解させてくれるからです。
 時々、私は、目の見える友達の見ているものを知ろうとして質問し
ます。先日、森の中をゆっくり散歩してきたばかりの親しい友人に、
 「何を見たの?」と聞きました。ところが彼女は、
 「何も、たいして」と言うのです。慣れていなければとても信じられ
ない返事ですが、私は前から、目の見える人たちが実は殆ど何も
見ていないのに気づいていました。
 森の中を一時間歩いても、心ひかれるものがない・・・・・ そんな
はずがあるだろうか? と私は自分に問いかけます。見えない私に
は触れるだけで興味をひかれるものが無数にあるのに・・・・・ 
 一枚の木の葉にしるされた繊細な調和に感嘆し、銀樺のなめらか
な木肌や、ゴワゴワした松の幹をいとおしむ。春になると、木々の梢
に手を伸ばし、冬眠から目覚めかけた自然をまっ先に告げる蕾を探す
のです。ビロードの花の感触を喜び、花びらの巻き具合の素晴らしさ
に気づいて自然の奇跡のいくらかを知ります。
 非常に運がよければ、小さな木にそっと手をおいたとき、精一杯歌う
小鳥の幸せなさえずりを感じることもあります。冷たい小川の水が広げ
た指の間をくぐり抜ける楽しさ。
 松葉やスポンジ状の草の敷物の方が極上のペルシャじゅうたんより
私には貴重です。四季の舞台こそ心踊る、果てしないドラマの連続で
あり、自然の演技は指先を伝って私に流れ込んできます。
 時折り、このすべてを自分の目で見たい思いがこみあげてきて、
私の心は叫び出さずにはいられない。さわるだけでこんなに楽しい
なら、目で見る素晴らしさはどんなでしょう! と。
 けれども、目の見える人たちが殆ど見ていないことはたしかです。
この世界を埋めている色と演技のパノラマは彼らにとって当たり前
のこととして見過ごされているのです。
 
 もし、きっかり三日の間、私に目で見る自由が許されたなら、一番
見たいものは何か、と考えることで、うまく説明できるかと思います。
私がそれを想像する一方で、あなたもこの問題ととりくみ、もしあなた
の目があと、たった三日間しか使えないとしたら、一体、どう使うべき
かを真剣に考えられては如何でしょう。
 三晩目の夜のあとで、あなたには再び太陽ののぼる朝が来ないと
したら、その間の貴重な三日間を、あなたはどう過ごされますか?
 あなたがひとみを凝らすものは何なのでしょう?
 当然、私は自分の、暗黒の年々に愛したものをまっ先に見たいと
思います。あなたも、また、あなたの前に立ちふさがる闇へ愛するもの
の面影を持ち込もうと、じっと目を凝らされるでしょう。

 もし、何かの奇跡で、三日間だけ見ることが許され、後はまた、元の
闇へ戻るとしたら、私はその期間を三つに分けましょう。
 第一日目には、その親切とやさしさ、つきあいで私の生涯に生きる
価値を与えてくれた人びとを見たいと思います。
 誰よりもまず愛する恩師、アン・サリバン・メイシー嬢の顔にじっと
見入るでしょう。私がまだ子供の頃、私のところへ来られた彼女は、
私には閉ざされていた外界を明け放ってくださったのです。
 ただ思い出してなつかしむため顔の輪かくを眺めるのではなく、
私を教育すると言う困難な仕事をなし遂げてくださった彼女の思いやり
に満ちた優しさと、忍耐強さの生きたしるしをそこから読みとりたいの
です。
 「 心の窓 」と呼ばれる目を通して友達の心の中を見る、とはどんな
ことか、私には分かりません。私にできるのはただ、指先で顔の輪かく
を「 見る 」ことです。笑い、悲しみ、その他さまざまのはっきりした感情
は見分けられます。顔にふれた感じで友達のことも分かります。
 が、私には彼らの人柄を本当に心に描くことができないのです。人柄
はもちろん、他の方法で分かりますし、彼らが表現する考えやその他の
どんなしぐさででも分かります。が、私には、目からくるに違いないと思
われる深い理解を持つことが許されていないのです。与えられた状況
や意見に対する彼らのさまざまな反応を見守り、瞬間にその目や顔を
横切るものを見ることができないのです。
 目の見えるあなたにとって、震える筋肉、わななく手にあらわれた
微妙な表情から、相手の本質を素早くつかむのは、どんなにか易しく、
また、満足のいくことでしょう。けれども、あなたには目を使って友人や
知人の隠れた性質を知ろうという気になったことが一度でもおありです
か? 目の見える人たちの大部分は、時折り、顔にあらわれた外面的
な特徴を捕らえることはあっても、それでおしまいなのではないでしょう
か?
 例えば、あなたは5人の親しい友人の顔を正確に描写することが
おできになりますか? できるのは僅かな人たちで、大部分の人は
できないでしょう。試しに、長年連れ添ってきた夫たちに、妻の目の
色を尋ねてみると、困りきった夫が知らない、と言うのが度々です。
妻の新しい洋服や髪形、家具の模様替えに夫が気づいてくれない
という不平もよく耳にします。
 万一、私にきっかり三日間見ることが許されたとしたら、是非とも
見なくてはならないものがそれこそ山ほどあるのです。
 第一日目は忙しく、集まってもらった親しい人々の顔をじっとのぞき
込んでは、外にあらわれた内面の美しさを心の奥底に刻まねばなりま
せん。赤ちゃんの顔もよく見て、人生の葛藤を知る前の無邪気で熱心
な美しさを捕らえたいと思います。
 忙しい最初の日に、私はまた、家にある小さな素朴な品々を見なくて
はなりません。足元に置かれた敷物の暖かい色や壁の絵を、家屋を
家庭に変えるなじみの品々を!
 一日目の午後、私は森の散歩にゆっくり時間をさき、目の見える人
の前には絶えずくり広げられている、おびただしい自然の華麗さを短
時間に吸収しようと必死に努め、その美しさに酔いしれるでしょう。
そして豪華な色彩に映える日没に祈らねばなりません。
 自然が闇と定めた夜になったら、さらに見続けられるよう人間の才能
が創り上げた人工照明の下で、なお見ることのできる二重の喜びを
経験するでしょう。
 目が見えた最初の日の晩は、その日に見たものの思い出がまぶた
にあふれて、とても眠れそうにもありません。
 
 翌、二日目、未明に起き出した私は、夜が明けるという震えるような
奇跡を見逃すはずはありません。太陽が眠っている地球を呼びさます
壮麗な光のパノラマを畏敬の思いで見守るでしょう。
 この日、私は足早に過去と現在の世界をのぞいて、人間の進歩の
歴史を、変転きわまりない時代の推移を見ようとしています。そんなに
沢山を一日で? とおっしゃるでしょうが、無論、博物館へ行くのです。
私、度々ニューヨークの自然歴史博物館で、多くの展示品に手を触れ
てきました。しかし、私は、自分の目で、そこに陳列されている地球と
その住民たちの圧縮された歴史、生まれながらの環境の中に描かれ
た人類種族と動物たちを見たくてしかたなかったのです。
 小さな体と強力な頭脳で動物の王国を征服した人類、その出現遥か
以前に地上を徘徊した恐竜やマストドンの巨大な骨格、動物と人間の
上に、また地球に安全な住居を造るために使われた道具類の上に
見られる進歩の過程の写実的な展示、そして、他のあらゆる自然史の
状況を。
 次に、私はメトロポリタン美術館で足を留めるでしょう。人類の歴史を
通して見ると、芸術的表現への衝動は食物、安全、生殖と殆ど同じ位
強いものでした。そして、ここメトロポリタン美術館の広壮な展示室は、
エジプト、ギリシャ、ローマの精神を、芸術作品にあらわれたそのまま
の姿でくりひろげています。私は指先を通して、古代ナイルの神々の
像をよく知っております。パルテノン神殿の装飾帯の複製に触れたこ
とも、突撃するアテネの戦士に律動美を感じたこともあります。アポロ
やヴィーナス、サモトラケの翼ある勝利の像は私の指先の友人です。
歯をむいて起こっているホメロスの顔は私にはなつかしい。
彼も、また、盲目を知るからです。
 だから目の見える日の二日目に、人間の創り上げた芸術作品を通
して、人間の魂へ探りを入れなければなりません。手で見たものを、
私はいまや目で見ようとしているのです。さらに素晴らしいことに、
華麗な絵画の世界の全容が、穏やかな信仰の初期イタリア絵画から
激しい幻想的な近代絵画に到るまで、私の前にくりひろげられている
のです。
 ラファエル、レオナルド・ダ・ヴィンチ、チチアン、レンブラントの画布
に私は深く見入るでしょう。ヴェロニーズの暖かい色彩に目を楽しませ、
エル・グレコの秘法を学び、コロから自然についての新しい幻想を捕ら
える・・・・ おお、見える目を持っているあなたがたにとって、時代時代
の芸術は、何と豊かな意味と美を秘めていることでしょう!!
 この美の殿堂をほんの短時間訪れるとき、あなたには与えられている
見直しの許可が私には与えられていないのです。私の受けた印象は
底の浅いものでしかないでしょう。芸術を真に、深く鑑賞するには、鑑識
眼を養わねばならない、と芸術家たちは言います。経験を通して、線の
構図、色、形の価値を学ばねばならず、もし、私の目が見えさえした
ら、どれほど喜んで私はその魅力ある研究に乗り出したでしょうに・・・
 けれども、目の見える多くの方々にとって、芸術の世界はまだ研究さ
れていない暗黒の夜だということです。
 非常に軽んじられている美、その美の鍵を持つメトロポリタン美術館
を後にせねばならないのは私にとって非常に辛いことです。けれども、
目の見える方々にメトロポリタン美術館は、必要ないのです。同じよう
な鍵がもっと小さな美術館でも、また、小さな図書館の本の中でもあな
たを待ってます。しかし、想像の目で見る私の限られた時間の中では、
最短時間で最高の宝物の鍵をあけようと、場所を選ぶのは当然のこと
でしょう。
 二日目の夜を私は、劇場で過ごそうと思います。今でも、私は、あら
ゆる劇場公演によく参ります。しかし、役者の演技は付き添いの人に
よって私の手のひらに書き綴られねばならないのです。
 が、私はハムレットの魅力的な姿を、エリザベス女王時代の美々しい
礼服をまとった陽気なフォールスタフをこの自分の目で見たい!!
 あなたがたが劇や映画、その他の出し物を見られるとき、何人の方
がその色彩や動き、優美さを目で見られるということの奇跡を悟り、
感謝されるだろうか、と思うのです。
 私はリズムにのった動きの美しさを、自分の手の感触という、限られ
た範囲でしか楽しむことができません。床を震わせて伝わってくる拍子
をしばしば感じるので、リズムの楽しさはいくらか分かりますが、パヴロ
ヴァの優美さは、かすかに思い描けるだけです。整った拍子にのった
動きは、世の中で一番素晴らしいものの一つに違いないとは充分想像
できます。大理石に刻まれた線を指でたどることで、その幾分かを押し
測ることができたのです。この動かない動きがこれほどまでに優美で
楽しいものなら、動いている動きの優美さを目で見る喜びは、どんなに
鋭く心を揺さぶることでしょう。
 私が最も大切にしている記憶の一つは、ジョセフ・ジェファーソンが
彼の得意とするリップ・バン・ウインクルのしぐさとせりふの幾つかを
演じながら、彼の顔や手にさわることを私に許してくれたときのことで
す。こうして私は演劇の世界をわずかに知ることができ、その瞬間の
喜びは決して忘れられません。たった一度だけでも、もし、芝居を目
で見ることができたら、読書や手書きの文字を通して私に伝えられた
たくさんの芝居の演技を私は心の中で思い描くすべを知ることができ
たはずです。

 翌朝、私はもう一度新たな喜びを味わいたいと願いながら、暁の空を
見守るでしょう。本当に見る目を持つ人びとには、朝ごとに訪れる夜明
けはたえず新鮮な美をあらわすはずと確信するからです。
 今日、私は、現代社会の平日を忙しく仕事に動き回る人々の中で過
ごそうと思います。多くの活動とその状況を知るのに、ニューヨークほど
好都合な場所があるでしょうか? 目指すは都会です。
 ロング・アイランド郊外にある私の家からはじめます。ここには、緑の
芝生、樹木や花にかこまれた、こぎれいな小さな家々があり、主婦や
子供たちの楽しげな声や動きが見られ、町で働く男たちの平和な憩い
の場となっています。私はイースト河に架かる鉄鋼の網のような橋を
車で渡り、人間の頭脳の創意と力の生み出した、新鮮な、驚くべき
光景を見るでしょう。河には舟がポッポッと音を立てて忙しげに走り
廻っています。きびきびとスピードのあるボートや、のっそりと大きな
音を立てて蒸気を吹き出す引き船なども。 目の見える日がまだ幾日
もあるのなら、私は河の上の楽しげな活動をもっとゆっくり、ながめた
いと思います。
 前方を見ると、おとぎ話の本からそそり立ったような風変わりな塔が
幾つも目に入ります。この巨大な建造物の一つ、エンパイヤステート
ビルの頂上に急ぎましょう。先達、秘書の目を通して、私は眼下に
拡がる市の姿を「見た」からです。想像と現実を比べたくて仕方ない
のです。
 さあ、市の周辺をまわってみましょう。最初に忙しい街の一角に立ち、
ただ人びとをながめるだけで彼らの生活の何かを知りたいと思います。
その人たちがほほ笑めば、私も嬉しく真剣な決意には誇りを感じ、苦し
みを見ては同情するでしょう。
 私は五番街をぶらつきます。群衆の中に、ゆれ動く女性の衣服の色
はどんなにか晴れやかで美しく、見飽きることがないでしょう。 私は
きっと、執念深くウィンドウショッピングをすると思います。陳列されて
いる美しい無数の商品を見るのは、目の保養に違いありませんから!
 五番街から、私は街を一巡しましょう。パーク・アヴェニューから貧民
街、工場、子供の遊ぶ公園など、あるものは快く見る者を楽しませ、
あるものは悲しく、惨めにしますが、私は悲しいものにも目を閉じます
まい。それもまた人生の一部だからです。
 私の目が見える三日目は終わりに近づきつつあります。残りの数時
間を献げなくてはならない大切な仕事があるかもしれません。
 けれども、最後の夜、私は再び劇場へ馳せ戻り、陽気で愉快な芝居
を見、人間の心に鳴り響く喜劇の喜びを味わいたいのです。
 
 盲目の私から目の見えるあなたがたに一つのヒントをさしあげること
ができます。明日、あなたの目が急に見えなくなるかのように、あなた
の目をお使いになっては如何でしょう? 他の感覚にも同じことが言え
ます。声の音楽を、山鳥のさえずりを、オーケストラの力強い調べを、
明日から聞こえないものとして、きいてみましょう。
 明日からは触感がなくなると思って、さわりたいものを一つ一つさわ
ってごらんなさい。明日からはにおいも味も分からなくなるのだと、
花の香りをかぎ、一口のごちそうも味わうことです。
 こうしてどの感覚も最大限に用い、あらゆる姿の美と喜びをたたえ
ようではありませんか。
 
        
        ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣

  
  本編はヘレンケラー著「目の見える三日間」の圧縮版であり、
 キリスト者の生活財団へ Doubleday & Company, Inc から転載許可
 になったものです。
 
 ヘレン・アダムス・ケラー 略 歴 (1880~1968)
  米国の女流著述家、盲聾唖の三重苦に悩みつつ、数ヶ国語に
  通じ、平和運動、社会運動に活躍、20世紀の奇跡と称せられる。
 

●ヘレン・ケラーの著作

奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫) 楽天主義“OPTIMISM”

●サリバン先生との関わり

ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録 奇跡の人 [DVD]

●信仰の基盤となった導き

ヘレン・ケラー 光の中へ 奇跡の人の奇跡の言葉


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